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流氷に出会う難しさ [旅]

オホーツクの流氷の季節は続いていると思います。少し前(5年ほど前)の話ですが「年齢的にも今だろうな」と思い、飛行機と都市間バスなどを乗り継いでたどり着いた先がオホーツク紋別でした。

(話はいきなり外れますけど、ある時に紋別で見たポスターのオホーツクの横文字表記がロシア語風で、太平洋戦争(第二次世界大戦)の敗戦後、当時のソ連が釧路から留萌に引いた線より北側をよこせと要求した経緯(確か)もあったので、もしあの時に押し切られていたら、紋別は今頃はロシア領であった筈ですから、私的にはどっきりでした。)



紋別の宿に3泊して流氷を待ったのですが、(沖までは来ているものの)接岸はせずでした。

ある日は、ガリンコ号に乗れば近くまで行けるのか?と、タクシーに乗ってガリンコ号の乗り場まで行きますと、その日は流氷には出会える可能性が低いので乗船料金は通常料金から500円引きでした。結局は流氷は見えず、(普通の)オホーツク海クルーズでした。

隣国からの観光客も多かったのですが、皆さんは船室でお喋りでしたね。

タクシーの運転手さん曰く「10年間、毎年、東京から来られているご夫婦でも、まだ一度も出会えてないのだから。」と。(1度目くらいで嘆くな、ということね。)

ryuhy_ses_1.jpg「岸にとり残された流氷でいいのなら案内するよ」と連れていってもらったのが、紋別空港近くの海岸でした。






次の日は、網走ではどうだろう?現地のレンタカー店に行くと、網走のライブカメラを調べてくれて、網走にも接岸していない=行くだけ無駄ですよ・・まぁ親切ですね・・と教えてくれました。


流氷に会えない4日間が過ぎ、(冬期なので日中やることがないし)仕方なく都市間バスで一度札幌に戻って、十勝平野を目指し列車に乗っておりましたら、紋別の知人の2人から「流氷が接岸した」とか「流氷がきれい」のメイルを受け取りました。

その冬の目的は"流氷を見る"でしたから、すぐに札幌に引き返し、帰りのスケジュールの都合もあり、今度はレンタカーを借りて向かうことにました。

(借りる時のやりとりを少しだけ書きますと、「北海道の冬路を走った事はあるのか?」には「ない。以前、信州の道をスパイクタイヤの時代だったけど、4駆で走り回った」と言うと「北海道の雪は本州のとは違います」と。)

4駆を借りて札幌から紋別まで走りました。夏季の旅行中は何度も通った道ですからカーナビはなしでも走れます。ただ、浮島出口を出てからの長い下りが、かなりビビった事は覚えてます。

ryuhy_pt2.jpg早朝に着き、気温はマイナス10何度だったと思いますが、流氷はまた沖に・・難しいものです。ただ港には埋め尽くされた流氷が残っており、その光景でやや満足したように思った(でないとね)のを覚えてます。


とんぼ返りで札幌への道中、旭川付近で「ダイヤモンド・ダスト」も見られて・・う~む・・good。

62か63才の頃の話です。69才の今、単独の「流氷行」を出来るか?身体的に厳しいので、出来ないですね。



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コメント 4

kan

1995年頃 流氷の下の水中ハイビジョン撮影をするために、羅臼、斜里に滞在したことがあります。(1年東京から通いました)

一面の流氷でした。
by kan (2019-02-25 10:07) 

さーちゃん

羅臼と斜里に滞在で・・王道?ですなぁ・・羨ましい。「まさにこれから流氷として流れ出るところ」は見たことはあるのですけどね、流氷として接岸したのは見た事がなく私は人生を終える、ですかね~。4Kか8Kかのテレビ&録画が普及すれば少しは近づけるのでしょうが、(普及まではまだまだで)これまたそれを観ずに人生を終える、でしょうなぁ。
by さーちゃん (2019-02-26 04:06) 

kan

終える終えるというお言葉が多いようですが、まだまだこれからじゃありませんか。

by kan (2019-03-02 09:46) 

さーちゃん

「バイクに乗れなくなったら人生終わりだよ~」が口癖だったけど、それはもうすぐそこ(!)みたい・・あ~あ。でも身体のあちこちを自己評価(やだね~この言葉。会社時代を思い出します。)すると「良くはないね~」が数カ所ありますから、覚悟はしておくこと、と、自分に言い聞かせておりますよ。(考えようでは「よくここまで生きた」です。)流氷は以前の夢に出てきましたからね。
by さーちゃん (2019-03-04 08:19) 

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