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海の中道 [旅]

50年前は志賀島へ行くとなると、(旧の)3号線を走って、箱崎、名島、香椎を経て和白で左折してました。小排気量のバイクだと和白までで少しくたびれたなぁだったと記憶してます。これが19才くらいの時。24、5才くらいの時は車での、まぁ所謂デートコースというのかな、志賀島を一回りするのが好きでしたね。。

10代の頃は和白からの途中の道沿いの雁ノ巣にはまだブレディ基地という米軍基地があったのではなかったかな・・少し記憶は曖昧ですが。道路沿いの金網の向こうは米軍人や米軍軍属やその家族が専用ゴルフコースでゴルフをしておりました。戦勝国と戦敗国の境は金網だったのです。金網の向こうはまぶしい別世界でした。


umino_nakaR.jpgそこを過ぎると、海の中道があり、志賀島です。50年くらい前までは海の中道付近まできますと、日本人も外海側の海岸に入れたと思います。(手前は例の「米軍敷地内に付き立ち入り禁止」の看板がたってました。)志賀島の入り口付近は40年前と余り変わってません。漁師の町ですから、「環境が変わろうが」の一言で、デベロッパー(と言うのでしょうか)も手が出せないのでしょうね。それを見てほっとして67才の今は志賀島の入り口で車をUターンさせました。

和白からここまでは途中のパーキングはほとんど有料でした・・全てパスでしたなぁ。


hello_FUK&Noko.jpg折り返しての運転中、能古島(のこのしま)も枠に入れて走りながら、スマホでぱちりを試しました。(勿論、顔は前方を見てます。)手探りのシャッターで何枚か撮った内の1枚がこれです。右に写っているのは能古島(のこのしま)です。



能古島(のこのしま)と言えば、井上陽水さんの歌で「能古島の片思い」という歌があります。あれが私などの青春の歌で、博多湾の海岸の砂浜で一緒に遊ぶクラスメートがどんなに眩しかったか・・いやぁ青春でしたなぁ・・。揚水さんの歌ではやはりこれが1番好きです。しつこいようですが、一部の曲名のデータベースにあがっている能古島・・・=nokojimaではありません、nokonoshimaです。

rps20170528_105643.jpgテレビか何かで覚えていたのか、往きにちらりと見た道路沿いに見えたホットドッグ屋さんライクなお店に復路で寄ってみました。とんかつバーガーを頼みました。出来上がりまで時間が掛かるとか。渡された札は「29」。15分くらい待ったでしょうか、「ニジューキューバンさーーん」とスピーカーで呼び出されます。550円。カツは揚げたてでした。美味しかったですよ、うん。






まぁ小腹が空いていたのも解消され、少し早いですが、今晩の宿がある和白へ向け車を走らせます。

和白へ進んでいると、三苫の文字が標識にありました。三苫海岸かぁ・・・三苫海岸は19才の頃卒業した高校のクラスメートの女性と夕陽を見に来たところです。駅から海岸までは一面のイチゴ畑でした。当時の私は浪人生、彼女は既に国立大学の入学を終えていた春でした。あの頃の私は、進路も何も決められず漠然とした将来への不安の中でずっと何か考え事をしていたように覚えてます。

2人並んで座って黙って夕日を見ていたのですが、気がつくとすでに辺りは真っ暗になっており、急いで駅までの暗い道を歩いたのでした。三苫駅の暗いプラットホームで電車を待っておりましたが、電車が来た時に車内の電気がとても明るくてプラットホームを照らした時は、安堵したような、もう少し2人で居たかったような、そんな心持だったのを覚えてます。

そんな思い出がある三苫海岸の駅まで行ってみようと、少し車を走らせましたが、駅から一面のイチゴ畑だったところは立派な道路とマンションなどが建ってました。50年の時を経たのだな、でした。




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コメント 2

kan

胸がキュウンとしますなあ
by kan (2017-06-01 09:33) 

さーちゃん

いや、お恥ずかしい。この後かな、バイクに2人乗りして1日で佐世保、諫早、佐賀を回って、帰り着いた時は2人とも顔は真っ黒でした。勉強が出来て、綺麗な彼女が付き合ってくれたのは、わが人生、最大の(から2番目くらいの)謎です。
by さーちゃん (2017-06-01 17:52) 

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